途上国のための国際交流と共同研究の推進:事始めの頃

-「増感通信 94-3」(1994 年 10 月 31 日発行)巻頭言より-

名誉会長 菅原 努

私達が現在行っている途上国の癌治療を向上させる為の国際交流と共同研究が具体化したのは 1981 年のことでした。当時国際原子力機関(以下 IAEA)の科学秘書をしていた岩崎民子氏(放射線医学総合研究所生物研究部長を経て現在(財)放射線影響協会研究参与)から私に連絡があり、IAEA として従来の Co-60γ線に何かプラスすることにより放射線治療の成績を向上させる研究をプロジェクトとして検討しているが、と意見を求められた。かねて“貧乏人のサイクロトロン”と称して高価なサイクロトロンのような加速器を使わずに、化学的、物理的に放射線作用を修飾することで、サイクロトロンで作られる特殊な放射線に負けない方法を開発することを主張していた私としては双手を上げて賛成した。

そこで途上国の人々は IAEA が、発展国の人々は京大放射線生物研究センターが夫々招待するという形で 1981 年 8 月に京都で「発展途上国における放射線治療にとって有望な方法」というセミナーを開催してこの問題の可能性を検討した。この検討の中で途上国の臨床研究を推進するためには具体的に何をすべきかが議論された。機器の提供、研修生の受け入れなどが論じられたが、これに対しては、現実には機器は十分活用されず研修生はそのまま研究者の国外流出につながる、など批判的な意見も少なくなかった。これに対して私は“途上国に先ず必要なものは情報である。もし発展国の科学者の協力が得られるならば私がまとめ役になって、その情報を世界中の途上国に配布しようではないか”と提案した。結局この提案だけが具体策として認められ翌 1982 年 1 月から Radiosensitization Newsletter として季刊で発行を開始し、本年 1994 年から Sensitization Newsletter として名称を変更して続いている。

この Newsletter は初めは科学者グループということで発行を始めたが、やはり発行の母体として何か正式の組織を作るべきだということで、82 年 6 月に日本放射線増感研究協会という組織を作り、私が会長ということになった。折角このような組織を作るのなら単に Newsletter の発行だけでなく、研究会の開催や研究交流もその活動に含まれるべきであるということで、そのような会則になった。それが次第に発展し、二国間セミナーや国際共同研究に発展して来たのである。

Radiosensitization Newsletter は 1982 年から 93 年の Vol. 12 まで年 4 回、1 回も休まずに発行を続けることが出来た。そして本 94 年に Sensitization Newsletter と名称を変えて新しい Vol. 1 が発足した。これを始めたときにはとてもこんなに続くとは考えていなかった。それでも途上国からの絶えない要望に励まされて遂ここまで来た。今年からは新しい IAEA のプロジェクトも始まるようで、心機一転、この Newsletter が新しいプロジェクトの側面的な支えとして途上国の研究発展に貢献することを願って止まない。